名取川と八ツ口の記憶 -地図が語る、かつての神社の姿-

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下の地図は、明治40年に作成されたもので、名取郡の高舘村八ツ口地区と柳生村上河原付近の様子が描かれています。右側には、現代の地図を並べてみました。見比べてみると、今と昔の風景が少しずつ重なり、そして違って見えるのが面白いところです。

中央を流れているのが名取川。この川は、昔から地域を潤し、時には災害をもたらしながら、私たちの暮らしとともに流れてきました。この地図では、ちょうど高舘村と柳生村の境目として描かれています。その境には、かつて存在していた「十二郷堰(じゅうにごうぜき)」という堰がしっかりと記されています。今では見ることができないこの堰も、当時は水を管理する重要な役割を果たしていたのでしょう。

注目したいのは、地図の左側、川のほとりに描かれている神社です。現在ではその場所に神社は確認できませんが、現代の地図を見ると、「日月堂(つきふどう)」という小さなお堂があり、そばの案内板には「八ツ口神社」と記されています。

実はこの神社、明治41年に熊野堂神社へと遷座されたようなのです。古い資料『封内風土記』巻五・熊野堂邑の項には、「日月社、在二邑民之地一、同レ上」という記述があり、この地域に日月社という神社があったことが記録されています。おそらく、地図に描かれた神社は、この日月社、もしくはその後の八ツ口神社だったのではないかと考えられます。

さらに、こんな記録も残っています。

1908(明治41)年12月20日
熊野堂各地に祭祀の無格社、日月社(八口神社)・飛鳥社・大六天社を熊野神社に合祀する。(原文のまま)

熊野堂郷土史―年表と資料― 川村善次郎編著 平成元年(1989年)

つまり、八ツ口神社を含むいくつかの神社が熊野神社へ合祀されたのです。そしてその後、

1912(明治45)年7月7日
大水増しにより名取川氾濫し日月堂流失、後現在地に遷宮す。(原文のまま)

明治45年(8月からは大正元年)、名取川の氾濫により、日月堂は流されてしまい、現在の場所に移されたとのことです。

今、私たちが見ることのできる「日月堂」は、そんな数々の出来事を経てこの地に根付いています。地図に描かれた鳥居は、まさにその歴史の証。かつてこの地で祈りが捧げられていたことを静かに語っているように感じられます。

普段何気なく歩いている道や川のほとりにも、こうした過去の出来事が眠っているのだと思うと、ぐっとこの地域が身近に感じられませんか? 

小さな祠のたたずまいの奥に、かつての村人たちの想いや暮らしが確かにあったことを、こうした地図はそっと教えてくれます。

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